別館含むサイトの作品のネタバレありです。読後を推奨します。

サイトを更新しました。
先回痛グッズ写真を更新してから過去のグッズの画像が表示されなくなっていたのですが、それを放置し続けて4ヶ月!やっと直しました。やっとかよ…。
それから新しいものを追加しました。あと載せていないのは缶バッジいくつかとマグカップかな?ポスターも載せようかな〜。また気が向いたら写真を撮って公開します。
小嘘つきログの収納もしました。

「在ることにしてる」だけの物語

‪脳内だけに留めて「在ることにしてる」だけの「物語」なんて、いくらでも壮大っぽく、名作っぽくできるじゃないですか。そんな構想は物語ではなく真におもしろいとは言えない。それ以前の問題。そういう遊び自体は否定しないけど物語を作ったつもりになっているのを見ると不愉快。(真の意味での)次元が違います。
‪そういう心情があるから私はまず創作することを心がけているのですが、私の話ははっきり言っておもしろくありません。でもそうやって評価を下すことができるのも形にしたからです。構想時点では「おもしろそう」「つまらなそう」という予想しかできない、真の価値は形になってから初めて分かります。‬
‪だから創作あるあるの、「頭の中にあるうちは名作なのに形にするとそうでもない」みたいのがすごく嫌いです。それ頭の中で「名作であることにしている」だけ、気のせいですよ。‬

‪物語にとっての一番の不幸って、おもしろくないことよりも描かれないことだと思います。おもしろいおもしろくないは後から付いてくる結果に過ぎない。物語が在るべき姿を描き切られた時点でその物語は幸せ。だと信じて創作をやっています。

同性愛「差別」について

別にNLの表記そのものに特別なこだわりはないけど浸透していることから便利だし使いたいです。これを差別用語だと目くじら立てる人には???となります。異性愛は生物が本来想定している愛情として「自然」だし社会において「一般的」「多数派」だからノーマルという単語は普通にふさわしいじゃないですか。
同性愛が普通か普通でないかと言われたら(上記の観点において)普通ではないじゃない。それは事実でしょう。単なる事実を言葉にしているだけなのに差別と言われるのは心外です。普通でないことってそんなに悪いことなの?普遍的に通じているものとそうでないものと分かれるのはごく自然のこと。差別ではなく区別をしているだけ。
「普通じゃないと言うのは差別だ」と言い張る人たちは自分らは「普通じゃない」ものを差別しているのでしょうか?普通じゃないものを普通じゃないからとバカにしたり虐げたりするのは差別です。でも普通じゃないことはそれだけで何も悪いことではない。ただ「違う」だけ。劣っているわけではない。
これは邪推ですがNL表記を批判する人は変に引け目があるからじゃないでしょうか。「普通ではない」ことはただの客観的な事実であってそれ以上の意味はないのに極大解釈している。普通じゃないことは悪いことだ、普通じゃないからと差別されている。身もふたもない言い方をしてしまえば被害妄想。

でも一般的には何かを「普通じゃない」と言うのは批判される、それだけで差別と見なされるんだろうなー。そういう一般論は分かってるけどそれこそ被害妄想でしかないと思っています。普通じゃなくても別にいいじゃんそれで。人と違うだけ。何も悪くないです。
普通じゃないものを普通だと言い張るのはそれを許容して受け入れることとは別物です。普通じゃないこと(悪く言えば異常性)を認識してそれでも尚許容して受け入れたときそれをしたことになる。認識しないのはただ現実を見ていないだけです。

NL表記が差別だと言う人は異性愛も同性愛も同じと見なされなければならないのでしょうね。その人たちの考える平等とは両者が同じと見なされることだと。
私はそうではなくて、普通なものも普通じゃないものも「同列」に扱われることが平等だと思います。いろんなものの「違い」を認めた上で不当に下げたりしないことが平等。

というかそもそも、普通じゃないと見なす=差別だとするなら、NL表記を批判する人たちは必ず差別をしていることになるのですよね。何かを普通だと見なすとき、普通じゃないものは必ずどこかに存在するわけだから。異常なものなら差別していいと謳っていることになる。
と思ったけど違いますか。「本来普通であるものを」「普通でないと見なす」ことが、不当な扱いであることで、それが差別だと言っているのですか。だったら同性愛が普通である客観的な根拠が知りたいです。あれば納得します。主観的な根拠は価値観の違いで片付けられるので却下です。
価値観の問題というのは問題をごまかしているわけでもあるから、そうならないように客観的な事実(生物として規定されていること、多数派であること、ありふれていること)を挙げて言っています。それに対する具体的な反論もなく「同性愛は普通!」とばかり言われても説得力がありません。

‪もっと言えば同性愛を気持ち悪いって思ったっていいじゃないですか。個人の感性なんだから。それを当事者の嫌がる形で口に出したり不当な扱いをしたりすることはだめですけど。気持ち悪いと思うことすら差別として許されないなんてただの思考統制じゃないですか、気持ち悪い。‬
‪「平等」を問う、同性愛支持派の方は同性愛を気持ち悪く思うことすら許しそうになくて、正直に言えばそれが気持ち悪いです。‬

‪#「同性愛をカミングアウトすべきか」「異性愛者はいちいち触れ回らないのになぜ同性愛者だけがカミングアウトしなければならないのか」というやりとりに対して‬
‪同性愛者がカミングアウトしなければならないことがないのはそうなんですけど、基本的に現代日本において人は相手を異性愛者だと見なす傾向にあるのだから(大半がそうなんだから)、カミングアウトする意義はあると思います。本当の自分を知ってもらえれば嬉しいじゃないですか。でもそれをいやだと思うならしなくていいというだけ。‬
‪でもこの「基本的に相手を異性愛者だと見なす」が視野狭窄的で既に差別的なのかなー!そりゃ同性愛者である可能性があるのは承知してるけど数値として低めじゃなおですか。安パイ取って何が悪い。それでもだめなら差別的でいいよもう。差別主義者ですみません!!‬

「自分の生きている世界(異性愛)が標準だと思い上がっている」ってなんかなーー。標準だと思うことって思い上がりなのですか?標準であることは別に偉いことでもなんでもないのに。
例えば標準語ってありますがそれは単に日本で普遍的に通じる一般的な言葉、日本語文法の根幹であるというだけで、別に地方語より標準語が優っているわけではありません。方言だってその土地の大切な言葉なんだから。でも標準語ではない。それだけです。
標準という言葉自体には「あるべき」「理想」みたいな意味合いがあるけど本質がどうであるかを言いたいのでラベル(字面)は重要ではない。
というか仮にラベルを問題にして標準語を「理想的な言葉」とするとしても別にいいじゃないですか。理想的でないから何が悪いの?一つの何か理論的な根拠に基づき理想を定められたときにあてはまるものあてはまらないものが決まりますが、使われる言葉に貴賎が決まるわけではない。

電車内での化粧とマナーについて

電車内の化粧をみっともないと思う人が大多数いるなら化粧をしないのはマナーになると思うんだけどな。何を不快に思うかは個人の主観によるものですが。マナーってそういうものでしょう。だから「電車内で化粧をするのはみっともない」でいいと思います。
誰にも迷惑をかけてなきゃいいって言われていますが、じゃあたとえば電車内で服を着替えてもいいんですかってなります。服を着替えても誰にも迷惑をかけませんが、不快に思う人が大多数だから電車内で服を着替えないのはマナーになっています。それと同じことだと思います。
化粧は身だしなみを整えることだから、それを公共の場で行われると不快になる気持ちは理解できます。見たくもない他人のプライベートを見させられている感じです。着替えと一緒。
個人的には化粧をしてる人を見るといやなもん見たなあと思います。粉が飛んでくると最悪。それから自己管理ができてない人だと思います。化粧を家でする時間を作れないなんて。まあそれだけブラックな世界に生きているのかもしれませんが。
誰にも迷惑をかけなきゃ電車内で化粧をしてもいいだろって言ってる人を見ると、その人はマナーを天から定められた絶対的な決まりごとだとでも思ってるのかと思ってしまいます。マナーは個々人の「いやだな」が集まってできる、人が作る、環境と時代によって揺れ動くものですよ。

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